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2006年1月26日 (木)

1月9日に帰国しました

帰国の報告

1110日、成田空港で、アンマンのホテルが自爆テロのターゲットになり、多数の一般市民が犠牲になったというテレビのニュースを横目で見ながら、アンマンへ向かう飛行機に乗り込みました。そして、18日、2ヶ月の滞在を終え、帰路の飛行機に乗るとき、手に取ったアラビア語の新聞の一面には、メッカ巡礼に世界から集まったイスラム教徒たちの写真、そして、その裏面には色鮮やかな振袖姿の日本の新成人の写真が・・・・。そういえば、アンマン滞在中に、イラクの友人から「日本がたいへんなこと(大雪)になっていますね。大丈夫ですか?」という携帯メールが届きました。私たちが大きな爆発事件や政治的な問題でもおきない限り、アラブの国のニュースを耳にすることがないのに比べ、イラクやヨルダンの人々は、日本や日本人のささやかな出来事にまでよく注目しているのではないかと感じました。

イラク戦争後、イラクの医師たちの要請を受け、白血病の子どもの治療に必要な医薬品をイラクの病院に届けてきましたが、治安上の理由で私たちがイラク国内に入ることのできなくなり、現地の輸送業者やボランティアの協力を得て、ヨルダンからイラクへ医薬品を送るようになってから2度目の正月をヨルダンで過ごしました。

2005119日に起きた「ヨルダンの9・11(アンマンのホテル爆破事件)」はアンマンを拠点にイラクへの医療支援を行おうとしている私たちにとっては衝撃でした。イラクやイスラエルと国境を接しながらも、「治安のよい国」だったヨルダンがテロリストの暗躍する危険な国にイメージダウンしてしまったわけですが、最も問題となったのは国境をこえて行き来する人や物でした。治安の悪化は、ヨルダンからイラク国内の病院へ陸路で医薬品や機材を送り込こむ支援活動に大きな影響を与えました。国境でのチェックが厳しくなり、従来よりも国境を通過するのに時間がかかるようになった上に、イラクでの選挙などもあって、アンマン・バグダッド間を往来する車が激減してしまったのです。2ヶ月間の滞在中、それだけではなく、クリスマス、年末年始・・・・といろいろな理由で国境が閉まったり、病院が休業となったり、カレンダーとにらみ合いの毎日でしたが、10便をこえる薬や機材をヨルダンからイラクへ無事送り込むことができました。

なかよくする会は、現在、JIM-NETJapan Iraq Medical Net-work)の一員として活動しています。イラクの白血病の子どもを支援しようとする7つの団体が、支援の重複や無駄を省き、専門性、継続性を高めようと協力して活動を展開し、医薬品、医療機器の支援、アンマンのキング・フセイン・カンサー・センターでのイラク人医師、看護士、検査技師の研修、患者の教育支援なども行っています。この2ヶ月間にJIM-NET全体でイラクへ送り込んだ医薬品や機材は総額100000ドル近くになります。ある医師からは「これだけあれば今月は大丈夫です」といううれしいメールを受け取りました。こんなことは今までにはなかった・・・・いつも、要請のわずか一部しか送れなかったのだから・・・・

イラクの医師たちは「選挙が終わっても、あと半年くらいは不安定な状態が続くだろう。もう、しばらく支援が必要だ」と言っています。ある医師に「イラクで医師は誘拐や殺害のターゲットになっている。あなたは怖くないのか?国外に退避するつもりはないのか?」と質問してみました。イラクの中でも治安状態の悪い北部のモスルからきた医師は「私は自分が生まれ育った町の患者と共に生きていくつもりだ。私がモスルを去ったら、誰があの患者たちの面倒をみるのか?あの子たちは私が治すのだ」と言います。私たちが支援を送っている病院の医師たちはみな同じように言います。彼らが思う存分治療ができるよう、これからも応援していきたいと思います。どうぞ、今後もご協力よろしくお願いします。

                              西村陽子

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